PASTOR’S BIOGRAPHY:3

~音楽の遍歴・前編~「ドラえもんが見れなくてピアノが嫌い」

音楽に関しては、4歳からピアノを8年間、習った。

はじめたきっかけは、自分でもよく覚えていないのだが、「ピアノを買って~買って~」と泣いて、せがんだらしい。

何度も後悔したし、しまいには、ホントにオレはそんなこと言ったんだろうかと、母を疑った。

 

毎日30分の練習時間を課せられた。

それがなんと、オレにとってのゴールデンタイム、ドラえもんが放映されている時間であった。

よくピアノを習ってる子が泣きながら練習すると聞くが、オレの場合ドラちゃんが見れなくて泣いたもんだ。

ピアノレッスンと学校の人前で歌わせる音楽教育で、確実に音楽が嫌いになった。

 

初めてレコードを買ってもらったのが、幼稚園の頃で「ウルトラマンレオ」。

100回以上繰り返し聞くもんで、周りの大人たちには、うざがられた。

 

「レオ!レオ!レオ!燃えろ~レオ!燃えろよ~!」今でもそらで歌える。

 

それから、日曜の午後からラジオの文化放送で流れていた邦楽ランキングをよく聞き、マッチやジュリ。聖子ちゃんやキョンキョンにどハマりしたもんだ。

 

中1で初めて、自分のお金で買ったレコードが、TEARS FOR FEARSの「SHOUT」(当時EP 700円)。

「夜のヒットスタジオ」で生で歌っているのを聞いた時、衝撃が走り、次の日レコード屋に走った。

それからというもの、本格的に音楽に目覚め、レンタルレコード「YOU&I」に通い続けた。

ハワードジョーンズ、ホール&オーツ、a~ha、マドンナなどポップス系を好んで聞いた。

 

カセットテープの質は、TDKを参照にすると、AE<AD<AD-X<AR<AR-X<METALというランクで、

オレは音質にこだわりながらも、月々の予算の都合上、AD-Xで妥協した。たまにセレブ気分に浸って、AR-Xを買う時もあった。(笑)

 

高1の時、友人の田中に誘われてバンドを始める。通った学校では「フォークソング部」が、軽音も兼ねていた。

バンドの担当は、VOCALであった。

フォークソング部というだけに、バンドをする前に、フォークギターを弾けなくてはならない。

ずらっと並んだ先輩たちを前に、ギターの試験がある。それをクリアしないと、バンド活動はできないのだ。

だから初めてギターを始めたのも16歳の時であった。

 

最初の課題曲は、中島みゆきの「悪女」。Bm(ハイコード)は苦労した。

でも、辛い思いをしてピアノをやっていた俺だからこそ、ギターってのはなんて簡単な楽器なんだと思った。

2時間そこそこで、G⇒Em⇒C⇒D&Bmの悪女を弾けた。

 

「ギター教室やってますよ~!」(宣伝)

 

バンド活動は、年に4回くらいのライブ(主にBOOWYのコピー)である。

「CASE OF BOOWY1~4」のビデオを見て、氷室の歌というよりも、立ち方やマイクの持ち方を研究したものだ。(笑)

 

が、しかし!

BOOWYが解散し、流行ったのが「X (Japan)」であった。バンドの意向として、Xのコピーをやろうよということで、

高音域の出ないオレはTOSHIができるわけもなく、PATAをすることになった。

いわゆるサブギターである。

でもそこから飛躍的にギターが上手くなっていった。

 

ライブは年に4回くらいの頻度で、川越の「チコ」、新所沢の「ペギーデイズ」というちっちゃなライブハウスでよく催した。

 

1つだけ言いたい。バンドをやり始めたきっかけは、音楽が好きだからではない。

モテたいから。(笑)

 

そうでしょ?全国のバンドマンの諸君!

 

続く・・・

~教会生活・幼少期編~
PASTOR’S BIOGRAPHY:4

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