PASTOR’S BIOGRAPHY:6

〜思春期・後編〜「この支配からの卒業」

思春期を迎えたオレは、敷かれたレールを嫌い、

権威的なすべてのもの、先輩・親・先生に反抗しまくった。

 

先にも書いたように、親とはケンカの日々。

先生の言うことは、軽くスルー(家庭科の美人教師は別)。

先輩とは、しょっちゅうモメた。

 

尾崎豊の「卒業」は、オレの中で主題歌となった。

 

中3の進路を決めるとき、将来を具体的に考えるようなった。

成績はそこそこ良かった。

 

埼玉県の偏差値の叩き出す「北辰(ほくしん)」なるテストを受けると、学年の順位がわかる。

全体の3位くらいだったが、どーしても開成高校を目指してた並木くんだけには勝てなかった。(笑)

 

オレは、埼玉県で有数の進学校(へ目指す者が滑り止めとして受験する学校)として知られているS武B理高校へ行った。でも滑り止め受ける人の学力は半端ないよね。

 

ちなみに、そこの佐藤理事長は元ラーメン屋だ。

なんでラーメン屋から学校屋をやろうと思ったんだ?と直接インタビューしてみたかった。

 

すべて成績主義という校風は、毎月事務所の入り口玄関に学年TOP20を張り出すほどだ。

 

オレは入学したての第一回目のテストだけ、6番を取った!

「オレってやるじゃん」と思ったのは束の間、

それ以降、二度と張り出されることはなかった・・・。

 

2年生の終わりには、赤点を4つ取って、留年の危機にさらされた。

泣きそうだった。

できるほうだと思ってたが、たちまち落ちこぼれた。

 

まあそんなおぼっちゃま校と言われ、

ヤンキー率が低かったにもかかわらず、初日からヤンキーな先輩とモメた。

後から知ったのだが、彼は番長だった。(番長って。笑)

 

一人の先輩ともめると、次々違う先輩たちが、教室に訪問してくれる。(笑)

 

とにかく先輩たちを始め、親にも先生たちにも、苛立ちを感じ、常にアゲインストしていた。

 

〜続く〜

〜献身編〜
PASTOR’S BIOGRAPHY:7

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