〜思春期・後編〜「この支配からの卒業」
思春期を迎えたオレは、敷かれたレールを嫌い、
権威的なすべてのもの、先輩・親・先生に反抗しまくった。
先にも書いたように、親とはケンカの日々。
先生の言うことは、軽くスルー(家庭科の美人教師は別)。
先輩とは、しょっちゅうモメた。
尾崎豊の「卒業」は、オレの中で主題歌となった。
中3の進路を決めるとき、将来を具体的に考えるようなった。
成績はそこそこ良かった。
埼玉県の偏差値の叩き出す「北辰(ほくしん)」なるテストを受けると、学年の順位がわかる。
全体の3位くらいだったが、どーしても開成高校を目指してた並木くんだけには勝てなかった。(笑)
オレは、埼玉県で有数の進学校(へ目指す者が滑り止めとして受験する学校)として知られているS武B理高校へ行った。でも滑り止め受ける人の学力は半端ないよね。
ちなみに、そこの佐藤理事長は元ラーメン屋だ。
なんでラーメン屋から学校屋をやろうと思ったんだ?と直接インタビューしてみたかった。
すべて成績主義という校風は、毎月事務所の入り口玄関に学年TOP20を張り出すほどだ。
オレは入学したての第一回目のテストだけ、6番を取った!
「オレってやるじゃん」と思ったのは束の間、
それ以降、二度と張り出されることはなかった・・・。
2年生の終わりには、赤点を4つ取って、留年の危機にさらされた。
泣きそうだった。
できるほうだと思ってたが、たちまち落ちこぼれた。
まあそんなおぼっちゃま校と言われ、
ヤンキー率が低かったにもかかわらず、初日からヤンキーな先輩とモメた。
後から知ったのだが、彼は番長だった。(番長って。笑)
一人の先輩ともめると、次々違う先輩たちが、教室に訪問してくれる。(笑)
とにかく先輩たちを始め、親にも先生たちにも、苛立ちを感じ、常にアゲインストしていた。
〜続く〜
-
PASTOR’S BIOGRAPHY:7
続きを見る