~幼少期~「エリート教育のなんたるかを」
父は酒乱、暴力、ギャンブル(家にはなぜかパチンコ台があった)三昧なダメ親父のお手本であった。
オレが2歳の時には、すでに家を出て行ったが、
母を追い回す父の残像は、恐怖を脳裏に焼きつかせるには十分であった。
そんな中、母子家庭で育った。
母は教育熱心で、スパルタ・ママの代表格であった。
自宅で、絵画教室・書道教室・学習塾・英会話・ナーサリーを開く、やり手である。
全盛期は生徒100人を超えていた。
夏のキャンプ、冬のクリスマスイベントも母の手一つで成功させていた。
母のもくろみは、オレを看板にすることだった。
オレが学業やコンクールで優秀な成績を収めたら、オレの知り合いも教室にやってくるであろうという策略である。(笑)
その看板息子である当時のオレの1週間のスケジュールを記載しておこう。
月:絵画教室 火:休 水:ピアノ 木:英会話 金:総合塾 土:書道 日:教会学校
なんとまあハードスケジュールをこなしていたことか。
一度、土曜の書道の時間に、友達と遊んで帰ってきたら、
母はブチ切れ、家の鍵は閉められていた。
無断欠勤はゆるされない。なぜなら、看板であるから。
強いプレッシャーの中、幼稚園でも小学校でも、すべてのジャンルにおいて優秀な成績を収めた。
書道、感想文、工作などのコンクールでは市長賞、県長賞をさらったものである。
小学校1年から6年まで、前期か後期の学級委員には必ず指名されたものだ。
母の期待を一身に背負い、なんとかそれに応えようとする幼少期であった。
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PASTOR’S BIOGRAPHY:2
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