~思春期・前編~「オキシドールで髪を熱するとむせる」
もちろん、そのはず。母の身長(153cm)を超え、力もついてきたからにはどうなるか。
反抗期を迎えることになる。
「よくぞオレをここまでこき使ってきたな」とばかりに、6年生の頃には、反抗、もしくは無視しか、しなくなった。
生活の中で必要最低限の会話以外、コミュニケーションはなくなった。
ケンカは絶えなかった。ご近所さんは、ビビってたであろう。
「てめ~ ○っ○○ぞ~~」とか叫んでいた。
中学校では、一応「陸上部」に属していたが、途中からサボり始め、遊びほうけてた。
先輩とすぐに衝突し、上下関係が面倒くさくなっていたのだ。
高校に入ると、バンドとバイトとボクシングに明け暮れた。
ボクシングを始めたきっかけは、ちばてつや作「あしたのジョー」である。
ハッピーエンドのストーリーが嫌いなオレは、「燃え尽きたい。灰になりてえ!」と思っていた。
その頃のモットーが「無気力、無関心、無感動」。
クールを装いそれがかっこいいと思っていた。
ボクシングジムは、狭山にある1Fが居酒屋で2Fがジムの元初代日本チャンピオンが会長のところだ。
会長はいつも酒臭かった。1Fの居酒屋で商売しながら、呑んだくれていたに違いない。
高校3年の進路を決める頃、
会長に「おまえ、スジがいいな。プロになってみねえか?」と言われ、逃げるように辞めた。
ちなみに、なわとびはプロ並だ。(笑)
髪型は、中学からリーゼント風だった。
3回ほど、リーゼントパーマをしたが、不評だったのでやめた。ビーバップ世代である。
色は、今のようにブリーチなど簡単に落とせるものがなかったので、薬局屋へ行って、
「すいません。風邪なのでオキシドールください。ゴホンゴホン」
すると、店員さんは、すべてを把握した上で、ほほえんで、渡してくれた。
もうおわかりであろう。オキシを髪にすり込んで、ドライヤーで熱して、色を落とすのだ。
くさいし、目は染みるし、あげくの果てに赤茶のサビた色だし、
アウトローの道も険しいもんだ。
続く・・・
-
PASTOR’S BIOGRAPHY:3
続きを見る